認可された条件

前回の続きですが、認可された条件は、期間5年、契約満了期、昭和33年8月、対価、年間生産台数が3000台以上のばあい1台につき100ドル、1500~3000台のばあい1台につき125ドル、500台以下のばあい1台につき150ドル、補修部品のみは6%、ジープの販売のため国内総販売店倉敷プレーザーと協力して新販売会社を設立することでした。


そして昭和28年293台、29年2934台、30年1451台、31年1893台を生産し、31年6月にはほぼ国産化を完了しました。


中古車情報をみてみると新三菱重工は、こうしたジープの国産化で新特需と国内需要に応じながらその利潤をもとに昭和35年から小型乗用車三菱500の生産のため設備近代化を実行しました。


しかしながら時期的にもおくれ規模も小さくなったことは否定できません。

スクーターの売上げもまた減少

昭和26年12月講和条約締結を前にして、PDバスとアメリカ軍用自動車の修理が減少し、さらに朝鮮動乱後の不況でスクーターの売上げもまた減少しはじめました。


そのため新三菱重工は、当時残された唯一の車種ジープの国産化にふみきり、新特需と自衛隊の前身保安隊、輸出需要に期待したのでした。


中古車情報によると昭和27年7月ウイリス・オーバラソド・エクスポート・コーポレイションとノックダウン方式による組立下請契約が締結され、翌28年9月正式に認可されました。


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さて、ジープを一種の乗用車とすれば、新三菱重工もまた技術導入による国産化ジープの生産で、乗用車工業確立の基礎をつくったといえるそうですが。


自動車の後進メーカー新三菱重工は、ある意味で、戦後自動車工業史の象徴でした。


爆撃をうけた新三菱重工名古屋製作所は、特需で息をふきかえした旧許可会社よりおくれ、アメリカの軍用自動車の修理に支えられ、小型車、スクーターから出発したのです。


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