若者たちのアイドル
55年秋にはフェンドとメッサーシュミットは、このKR200をホッケンハイム・サーキットにもち込み、250㏄以下のクラスの連続記録に挑戦、24時間の連続走行で平均103㎞/hの世界記録を樹立したほか、合計22の国際新記録を樹立して、そのポテンシャルの高さを実証した。
KR200は、日産 中古車のごとく若者たちのアイドルとなり、戦争を知っている人びとは、まるで、自分がメッサーシュミット戦闘機のコクピツトにおさまっているような気持ちでこのKR200を乗り回した。
1956年に、航空機生産の禁止が解除されると、メツサーシュミット社は、再び本業にもどることとなりカビネン・ローラーの生産打ち切りを決めたので、ブリッツ・フェンドは、レーゲンスブルクに新しい会社を設立して、KR200の生産をつづけることとなりました。
以後、この車は、FMRとよばれるが、これは新会社の社名、ファールツオイク・マシーネンバウ社と、地名のレーゲンスブルクの頭文字をとったものです。