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2012年01月 アーカイブ

若者たちのアイドル

55年秋にはフェンドとメッサーシュミットは、このKR200をホッケンハイム・サーキットにもち込み、250㏄以下のクラスの連続記録に挑戦、24時間の連続走行で平均103㎞/hの世界記録を樹立したほか、合計22の国際新記録を樹立して、そのポテンシャルの高さを実証した。


KR200は、日産 中古車のごとく若者たちのアイドルとなり、戦争を知っている人びとは、まるで、自分がメッサーシュミット戦闘機のコクピツトにおさまっているような気持ちでこのKR200を乗り回した。


1956年に、航空機生産の禁止が解除されると、メツサーシュミット社は、再び本業にもどることとなりカビネン・ローラーの生産打ち切りを決めたので、ブリッツ・フェンドは、レーゲンスブルクに新しい会社を設立して、KR200の生産をつづけることとなりました。


以後、この車は、FMRとよばれるが、これは新会社の社名、ファールツオイク・マシーネンバウ社と、地名のレーゲンスブルクの頭文字をとったものです。

改良

今日も中古車の検索に役立つ情報をと張り切っています。こんにちは。


KR200は、FMRになってから、KR200はさらに改良が続けられました。


長い間待ち望まれていたコンバーティブルのキャンパス・トップをつけたKR201・ロードスターも、デビューした。


58年には、直列2気筒(空冷)、493㏄、19.5防のエンジンをつけ、リアも2輪とした(トレッドは前輪よりせまい)「TG500」(TGは、タイガーの略)もデビューしたが、期待したほどユーザーの心をひきつけることはできませんでした。


BMW・イセッタ、ハインケル・カビーネなど、並列2シーターのライバル車の進出もさることながら、時代は、そろそろ、キャビン・スクーターから離れつつあったのです。


TG500の生産は61年で打ち切られ、KRも63年生産中止となりました。


9年間の生産台数は約5万台(うち1万台は初期のKR175)だった。

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